バンプオブチキンの歌詞のようですが、中身は全く違います。(当たり前)
私たちは物事を把握する時に、数字を使ったりして、所謂「可視化」をしようとします。
特に仕事の中ではそうですよね。
「数字で語りなさい」と昔からよく言われたし、勿論それを否定する気は在りません。
僕自身も数字を追いかけてその変化を楽しんできた人間なので。
でも、本書の中で経営者に求められるものの見方は、見えるモノだけ見てちゃダメ、ということ。
言い方を変えると、私たちは物事を見たいように見ている、という事です。
例えば仮説と検証。
この仮説の中には肯定的なニュアンスが多分に含まれています。
「こうなるのでは?」⇒「こうなったらいいのにな」という気持ちが働き、結果検証の時に、仮説と違う結果になったものが見えにくくなってしまう。
もっと大きな視点でいうと、自分自身が分からないものは分からない。
となった時、その「わからないもの」を見ようとしないで、分かることで物事を判断してしまう。
これ、私本当に当てはまるので、ドキドキしながら読んでいました。
ここで出てくる「ネガティブケイパビリティ」ということば。
これは分からないものを「分からない」状態で許容すること、と私は理解しています。
も少しいうと、分からなくてもいいやん、みたいな感じ。
分からないことを否定的に捉えない事、とも言えるでしょう。
これはコーチングを学ぶ中で学びました。
コーチはクライアントの話を聴きながらクライアントを理解し、クライアントの支援になるフィードバックでクライアントの目標達成の支援をします。
でも、話を聴いていても分からい時もあるんです。
「一体何が言いたいのか?」
「何がハードルなのか?」
この時に、コーチなんだから「分かるべき」みたいに思っていると、自分の理解の中で「こうなんだろう」みたいなことを考え、下手したらクライアントを誘導しちゃったりするんです。
分かっていない自分を認めたくない、みたいな。
でも、その時素直に「わかりません」と思えるか?
そのわからない、ということをクライアントにぶつけたらまたそこからクライアントの思考は回り始めるのです。
分からない、ということを素直に受け入れる心、ともいえるかな、と。
経営者はその「素直さ」が一番重要だと松下幸之助も説いています。
勿論色々と見えた方が良いし、分かった方が良い。
でも、私たち人間は自然の中ではちっぽけな存在です。わからないことがあって当たりまえ。
その分からないものを理解するためにも、まずは「わかりません」と素直に受け入れることが第一歩なんだろうな、と感じました、。