【読了】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
2024.06.30
完全にタイトル見て買ってしまった本。
どちらかと言うと私は本を読んでいる方だとは思っています。でも、正直波はあるし、SNSに時間を溶かしてしまい後悔している時もあるので、非常に興味深い本書。
そして中身が結構濃い。単に読書論にとどまらず、時代ごとの労働社会の変化や本や情報との付き合い方の変化を時系列で論じ、働く人が本とどのように付き合ってきたのかを明快に解説している。
特に興味深かったのが、教養を得るために本を読んでいた時代から、本が単なる情報を得る手段となり、そして情報のノイズが多い本がだんだん避けられていったという事実。
ここで言う「ノイズ」とは自分が知りたい事以外の情報が入ってくること。
本は何が来るか分からない。そういった意味でノイズと表現されているのが興味深い。
確かに最近の若い人は、映画を早送りで見たり、早読みで知りたい事だけをしり、「タイパ」を上げることに熱心だ。別にそれを否定はしないけど、私とは違うんだな、と思ってみています。
映画は自分が予想もしない動きがあったり、セリフとの行間の表情に味わいがあるし、本は本で自分が思いもよらない事を教えてくれる。ノイズはありがたいモノだと思っているからこそ、多分なんとか本を読もうという意欲を私は保てているのかもしれない。
少なくとも「勉強の為」とか「仕事の為」と思っていたら続いていないと思う。
そして最後の方にグサッと来る言葉がありました。
半身で行こう。全身全霊を止めませんか、という言葉。
全力が悪いわけではないけど、そこに全てをかけない方がいいよね、ということ。
仕事に全身全霊で向き合ってしまったら当然他の事に目がいかなくなる。家庭、趣味、コミュニティ、教養。他のものが全て犠牲になってしまう。
そして全身全霊でいった仕事でうまくいかなかったら?
当然メンタルを壊すリスクも上がる。
その時に、全身全霊でいられない自分を「不十分な自分」と捉えてしまい、自分を責めてしまうのでは?
だから半身でいいよね、という話。
森川家(私の両親の話)は常に全力を求める親でしたが、一方で昔から文武両道と言われ続けていました。正直中々窮屈な家庭ではありましたが、勉強だけじゃダメ。運動だけもダメ。と子供のころから思っていました。そういった意味では半身に付き合う習慣はこのころから出来上がっていたのかもな、と読みながら考えていました。
手前味噌になりますが、私はワークもライフも欲張る生き方をそこそこ体現できているし、それを周りからもうらやましいがられます。
仕事には全力投球していますが、それ以外の事も全力でやろうとしてきた結果、今のライフスタイルが出来上がっています。
勿論若い時は仕事人間でした。でも、週1回は絶対テニスする、と決めてテニスをする余地は残していたし、週1回は学生時代の友人と遊ぶと決めていたので、仕事以外のコミュニティも維持できていました。
私が本を読み始めたのは32歳くらいから。最初は正直仕事の為から始まりましたが、通勤途中や寝る前に読む習慣を創ったことにより、仕事以外の世界が広がったことは間違いありません。
ここ数年はプライベートで心を痛めることがあったのですが、その時は正直本を読む気が起きなかったので、「こりゃ、しょうがないな」と思って1年程本から遠ざかっていましたが、今は程々に読んでいます。
読書を知識を得るものと捉えるのではなく、違い世界が広がっているもの、と捉えることが細く長く読書が続くコツなのかもしれませんね。