【読了】『不安の哲学』
2021.07.23
うーーん。ちょっと1回読んだだけでは理解できない。理解はできるんだけど、心と身体と脳に染み込まない感じ。
逆に言えば、染み込ませたい、とも言う。
私たちは様々な不安を抱えながら生きていると思う。勿論私も然り。
でも、実は私たちが不安になるのは、不安になることを目的にして、目の前の事象や課題から目を背けているに過ぎない、と岸見先生はバッサリ。
例えば私の場合、仕事に関する不安はいつもある。
独立して7期。おかげさまで事業は順調に育ってきていると思います。このコロナ禍でダメージは受けたけどなんやかんやでやっていけている。
でも不安です。
この先10年やっていけるのか?自分の価値がなくなったらどうしよう・・・。そのせいで家族につらい想いとかさせたらどうしよう・・・。
これ、正直な不安です。
アドラーはこう言っています。
「人がひとたび人生の困難から逃げ出す見方を獲得すれば、この見方は不安が付け加わることによって強化され、たしかなものとなる」
つまり、人生の課題から逃れるため不安の気持で正当化しよう、ということ。
それが不安が目的化している、ということ。
上記の私の不安も現実にはまだ起きていません。
事業が破綻したわけでもない。
顧客から総スカンをくらったわけでもない。
家族がつらい思いをしているわけではない。
つまり、自分でこの人生を生きていけばクリアできる課題ばかり。
でも、楽じゃないことも知っている。
だから不安という気持ちを利用して、例えば「安定してそうか会社に入ろう」みたいな転身をするのに、不安を正当化する。
自営業は不安だから組織人に戻ります。みたいな。
なんて勝手な言い分。そして組織人に戻っても不安は尽きるはずがない。
岸見先生は本書の中で、様々な不安について書かれています。
パンデミックの不安。対人関係の不安。仕事の不安。病気の不安。老いの不安。死の不安。
でも、その不安は自分が作り出しているものでしかない。
そしてその不安の正体を知ることで、自分が不安を目的にしていることが認識してしまう。
結局何が大事かというと、「イマココ」を生きる事。
イマココの時間に光を当て、コントロールできる自分にエネルギーを費やすこと。
勿論人生はどんな方向に転がるかわからない。
でも、私たちには主体性という力がある。
それは「自分で選択する力」ともいえる。
これを手放すことなく常に物事をどう見るか?どう考えるか?どう行動するのか?を自分で選択することで不安を目的にする必要はなくなる。
世の中はそもそも不確実な物。
わからなくていい。先が見えなくていい。それすらも受け入れ、じゃあどうするか?と考えることで自分の人生を生きることができるのだと思う。